今日の問題 安井のブログ 彦録゛

ホームページへ戻る 安井宛メール送信
お知らせ プロフィール
安井俊彦後援会 リンク ホームページへ戻る
やまびこ会

神戸夢ネット2004年企画

カンボジアの子供たちへ、小学校を

第1回報告 2005年5月30日

生きる勇気と愛をもらったお返しに…    

私は今、カンボジアの世界遺産アンコールワットのすぐ横に、小学校を建てようと運動を進めています。同志であります一級建築士萩尾利雄氏を代表として、神戸夢ネットを立ち上げて、夢を果たそうとしているのです。

ご承知のごとく、カンボジアではつい20年前、ポルポト政権により170万とも300万ともいわれる人々が虐殺されました。当時、じつに教育者の80%が殺害されました。国民は家畜化せしめられ、一家族に一人は殺害されるという、恐怖政治下にありました。

現在でも、一日二百円の賃金のために、二時間もかけて職場へ行く子供達。この「今」の背後にある恐怖は、教育がないために人格が育まれず、人間の尊厳が得られずにあることでしょう。去る6月24日のNHKでは、自分の子どもを3000円で売って歩く多くの母親の姿が放映されていました。

もちろん、誰も彼もが皆そのように貧しく、悲惨なものではありません。しかし、貧富の差が益々開き、文盲率が高まることで、低所得者の状態は更に酷くなりつつあります。

私は、同じ人類として、同じ地球に住んで、同じ生命を大切にするために、まず彼国の子どもたちに教育を届けたいと思っています。私は、行くたびに彼国の人々から大きなものを得ます。それは、どんなに辛くても生きる、勇気と愛です。

よろしければ、みなさんも、私たちと一緒にこの夢を叶えませんか。よろしくお願い申し上げます。

神戸夢ネット事務局 安井 俊彦

神戸 夢ネット

  1. 会の名称。
    会の名称は、「神戸 夢ネット」と称する。
  2. 会の目的。
    会の目的は、カンボジアの子供たちへ学校を寄贈したり教材を送ったりして、教育環境の整備に寄与し、日本とカンボジア両国の友好に貢献することである。
  3. 会員の資格。
    会の目的に賛同し、活動及び金銭協力をして頂ける人は全て会員の資格を有する。
  4. 資金。
    会の目的を達成するために、会員からの寄付を募る。
    寄付金は、2の目的以外には使用しない。
  5. 会員の活動。
    会員は、目的達成のための努力をする。
    会員の活動資金は、各自の責任で賄う。
  6. 世話人。
    会の代表は、当面、萩尾 利雄 が務める。
  7. 事務局。
    事務局は、当面、安井 俊彦 が務める。

ページの先頭へ

団体・企業として貢献できること    

夢ネットを支える一員として、声援・応援をくださる意味で、各種団体等のお名前を掲げていただきたく存じます。

御支援団体・グループ名

(順不同・敬称略)


ページの先頭へ

市民ネットワークとして貢献できること    

カンボジアは1979年にポルポト政権から解放されましたが、ポルポト政権下では、知識人の否定・教育の否定が行われ、教育環境が破壊されました。小学校教員の80%、中学校教育の90%が殺害され、校舎・校具も破壊されてしまいました。そのため、パリ和平会談から15年もの歳月が過ぎた現在でもなお、教室・教科書・教材が不足しています。

日本政府は道路などを、フランス赤十字は病院を建設し、援助をしていますが、教育環境の整備はまだまだです。ならば、私たち市民のネットワークでも何か貢献できるのでは、と思い、学校の寄贈を企画しました。

ページの先頭へ

私たちの子供や孫の世代とカンボジアの子供たちとが将来ネットワークを作り上げてくれることを期待しながら、両国の友情がさらに深まることを願って、汗を流したいと思います。

東南アジアを訪れると、エネルギーを貰えるように思えます。私たちで出来ることをして、子供たちが、夢を持って勉強をしてくれるなら、それは、将来の私たちの夢の実現にもなるのではないでしょうか。
そこで、この度の企画グループを「神戸 夢ネット」としました。夢を見たい方、夢を実現したい方のご協力を、お願い致します。

建設予定地は、世界遺産に指定されているアンコールワット遺跡のすぐ近くです。また、その地域内にも小さな遺跡があるよいところです。
この秋にはふたたび現地へ行き学校建設に向けての最終調整を行い、出来れば竣工式をしたいと考えています。

完成時には、ご協力いただきました全ての方々のお名前を銘板に刻み取付けたいと考えています。皆様方のご協力をお願い致します。

資金協力をしていただく場合は、下記口座へお振込みをご利用下さい。よろしくお願いいたします。

ページの先頭へ


参考 カンボジア簡易近代史覚
月日できごと
1945年 10月 仏軍プノンペン制圧 カンボジア再植民地化
1949年   ポルポト 無線工学を研究すべく奨学金を受けパリ留学 クメール共産党に参加
1953年   ポルポト帰国 仏語教師として教職に就くかたわら、反仏地下運動に参加
1960年   ポルポト カンボジア共産党中央常任委員
1961年   対タイ国交断絶
1962年   ポルポト カンボジア共産党書記就任
1963年   対南ヴェトナム国交断絶
1965年 5月3日 アメリカと断交。カンボジア国内を通過するホーチミン・ルート構築援助
1968年 1月17日 反政府武装組織クメール・ルージュ 武装闘争開始
1969年 3月 アメリカ カンボジア爆撃
1970年 4月30日 アメリカ カンボジア侵攻 シアヌーク ポル・ポト側を支援
1973年 1月27日 アメリカ・北ベトナム パリ和平協定調印
1975年 4月17日 クメール・ルージュ プノンペン制圧
全住民強制退去命令。以後3年8ヶ月の間に約200万人を虐殺
4月30日 サイゴン陥落 解放
1978年 12月25日 ヴェトナム軍 カンボジア侵攻
1979年 1月7日 ヴェトナム軍 プノンペン解放
1月12日 ヘン・サムリン カンボジア人民共和国 樹立宣言
2月17日 中国軍 ヴェトナム侵攻
1981年 9月4日 シンガポールにてポルポト派・シアヌーク派・ソン・サン派の反政府三派合意 内戦勃発
1982年 6月22日 反政府三派 反ヴェトナム「民主カンプチア連合政府」結成
米・日・中等は残虐行為を認識していたにもかかわらず支持したため、国連のカンボジア議席は89年総会までポルポト政権が占める
1989年 7月30日 カンボジア和平 パリ会談
9月26日 ヴェトナム軍 カンボジア完全撤退

ページの先頭へ


市議会議員 安井俊彦事務所
兵庫県神戸市東灘区御影本町2-15-27 みだ六マンション1F 〒658-0048
電子メール yasui@yasui.net
電話 078-842-3020 ファクス 078-841-3090

サイトについてのご質問などは webmaster@yasui.net へどうぞ。

Web Design © DIGIHOUND LLC. NM USA/ Kobe, Japan 2004