▲丁寧にカットしてもらった
やっぱりなぁ〜。そう言えば、毎日家を出るときに、向かいの美容室の方たちが、自分の店だけでなく周辺のゴミ拾いもして開店されているのを拝見していた。立派な若者の店だ。きっと技術もしっかりしてると思う。私の妻は美容師で何軒かチェーン展開しているが、私の髪を触ったのは2回だけ。それも、新婚時代にまでさかのぼる。彼女も多忙だが赤字。今どきのオーナーは大変なのだ。
政治ではオーナーは政治家。そして、政治家秘書も然り。時期が時期で、休みもなく朝立ちの午前7時から夜の12時まで…。いや、秘書だけではない。私の事務所にはいろいろなボランティアの人々が集まって下さる。そんな、みんなの善意が本当にうれしい。その善意で生かされている喜びを活力源にして、いざ、出陣。
▲巡礼の方々と共に地蔵尊を拝む
それは、平成7年の大震災で破壊されたこのお地蔵様を、学生時代から親しい石橋伸彦君が、なんとか復興したいと言ってきた時のこと。彼自身の家も、持っている貸アパートも全壊。すべてを失っていたのに、彼は、「地域の為、お地蔵様を消失させてはならない」と訴えたのだった。私は、その心意気に応えるべく近所の人に訴えてまわった。皆が被災しているので、資金集めはとにかく大変だった。
昭和7年に交通安全を願って建立されて以来、自動車・船・航空等、交通関係者がお参りに来ることで、かなり有名になっていただけに、私もやりがいはあった。が、すべてが不足していた。やっと22人の発起人が集まり、会議を重ねたのだが、最大の問題は、約60坪の土地に多くの地権者が絡み、しかも調査不能になっている事だった。小さな新聞広告を出して通告する案も出たが、エイヤーとばかりに、問題があれば、それから対処することにして、建ててしまう事にした。それまでに要した歳月、3年半。その後、再建立ができてからは、地域の皆様の善意で毎年、地蔵盆が盛んに行われている。
実は、再建立の発起人石橋伸彦君は、建立を待たずして急死してしまわれた。母君が入院中で彼が世話をしていたのだが、脳溢血で急送され、翌日死亡。母君に「旅に出ている」と嘘をつき通したのを覚えている。
私は彼が好きだった。甲南の同級生で、物静かで結婚もせず一人でいたが、気の優しい思慮深い男で、よく事務所に来ては「君は怒りすぎる。君はもっと控え目にしろ」と、私を叱ってくれた。事務所の人望が彼に集まっている事は知っていても、すべては安井の為にと、頑張ってくれていた。彼の葬式で私は、泣きながら弔辞を読んだ。読みながら、仏を恨んだ。なぜ、こんないい男を…との思いがあった。彼の冥福を、心から祈った。
▲133歳のロールケーキブレイク