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2014年 02月 21日 金曜日

地元で結成している阪神基地隊支援の会の顧問として、この日の為に身を清め、下着をさらにして出席したのは… 退役する掃海艇まきしまの出港見送り行事(くだけて言えば、お別れ会)。艇の解体の為に広島の呉に向けた、阪神基地隊からの最後の出航、最後の航海である。

まきしまは、1993(平成5)年5月12日、日立造船で建造された。掃海艇は、磁気機雷や音響機雷を避けるべく、木造。搭載する重機はわずかで、本来の掃海目的の他、主に災害派遣と爆発物処理で活躍をしてくれた。記憶に新しい、2010(平成22)年6月12日の、神戸港内で発見された不発爆弾の現地爆破処分も、まきしまだった。

東日本大震災では、真っ先に救援活動に入った。物資の運送、海中での遺体の捜索といった、2ヶ月間現地に留まっての活動は、魚に食われ、手足のちぎれたご遺体を綺麗にして丁重にお預かりするなど、辛酸を極めた。

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送別の辞を述べる機会を頂いた私は、
「ボランティア活動がもてはやされる中で、本当に地味でしっかりとした活動をした皆さんとまきしまは、国家の役に立った。そして、同じく震災にあった神戸市を代表して活躍をして下さった事に、敬意を表します」
と、お礼申し上げた。
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私は最後の海軍カレーに添えて召し上がって頂きたいと、ラッキョウと福神漬けを艇長にことずけた。この式典の光景からはズッコッケのように思えるかも知れない。私の海上自衛隊を愛する心を、こんな事でしか表現できない自分が残念でもあった。
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17日月曜13時30分、最後の船出の時がきた。まきしまは活躍した阪神基地隊の岸壁から、我が身を解体する呉に向かって出港した。隊員の皆さんの愛情と感謝の心で隅々まで美しく磨かれた船体が離れようとするその時、日差しが海面を煌めかせた。軍艦マーチの中、基地に立つ隊員と民間の支援の方々は力一杯、旗や帽子を振った。まきしまからも、帽子を振って返す。

長らく共に任に就いてきた艦艇との別れはお辛いだろうが、自衛隊員の皆さんには、新たな出発への一歩でもある。本当にありがとう。ご苦労様でした。
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