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2016年 12月 14日 水曜日

私には、訴えたかったことが本当に沢山あった。海上自衛隊は神戸市民のためで、役所のためではない。阪神淡路大震災の際も… 多くの市民を助けて下さり、東北の津波の時でも、神戸市を代表して真っ先に駆け付け大変な苦労をなさった。しかし神戸市民、役所はお礼も言わなければ、出迎えもしなかった。

同じ公務員とはいえ、命を捧げますと誓約している公務員がどこにいるだろうか。市民と国民は、もっと敬意を表して良いだろうし、市の役人は、もっと謙虚に対応するべきだ。増して、例の5年前のしらせ事件 ─ 二代目砕氷船しらせの入港時に横断幕を裏がえしにした一件など、とんでもないことである ── そんなことを語ったのは、「平成28年阪神基地隊 年末餅つき大会」。
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東灘区第三工区の阪神基地隊で12月10日に行われた、この行事。私は、始まって以来欠席したことがない。言わば、餅つき大会の生き字引のようなものである。当初は無料で、いろいろな人が集った。私は司令に有料にしてはどうかと提案したが、防衛庁からOKが出ないとのことだった。そのせいで、隊員が行かないスナックの女性や近所の主婦が押しかけた。中にはパック持参で、出された唐揚げや果物を持ち帰ったり、司令の話しを聞かず大声で談笑。ある時など、売り込みに応じたが最後、祝いの日本舞踊を延々と踊られた。

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いいこともあった。ラッパに合わせて日章旗と海上自衛隊旗を掲げられた方があって、しばしラッパに聞き入った。中には涙を流す方もおられるほど、感動を呼んだ。

そうした、様々な経過を経て、今は会費3,000円。主催も変わり、客層も変わり、毎年が楽しみになった。特に今回は、良く訓練された隊員の方が、お客さんが階段を上る際には手助けをされるなど、司令の温かい配慮が伝わってきた。そんな餅つき大会だが、今回はひょんなことから、私がスピーチをすると、その場で決まった。もともと阪神基地隊の看板を背負っている、私。このチャンスを待っていたとばかりに、喜んで壇上へ。

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かつて私は地元で、地元の人々と阪神基地隊を守る組織を結成した。まず、阪神基地隊の在りかを知ってもらうため、43号線から第三工区内への道しるべを、国と第三工区の企業にお願いしてつくった。集団見合いも企画するなど、沢山の思い出がある。だが、そんな自慢げなことは別として、冒頭のようなことを語った上で、「次の機会があれば、市民も県民も、海上自衛隊に敬意の念を持ち、捧げよう」と、そう訴える気でいると締めくくり、心からの乾杯を捧げたのだった。
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